大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長野地方裁判所諏訪支部 昭和26年(タ)10号・昭25年(タ)3号 判決

被告は原告に対し金二万円及びこれに対する離婚確定日の翌日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求はこれを棄却する。

反訴原告の反訴被告に対する請求はこれを棄却する。

訴訟費用は本訴及び反訴を通算の上これを五分しその三を被告の、その二を原告の各負担とする。

二、事  実

原告(反訴被告)訴訟代理人は主文第一項と同旨、被告は原告に対し金二十五万円及びこれに対する本訴々状送達の翌日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として原告(反訴被告、以下単に原告と称する)は亡上条直助の三男であつて、諏訪中学、東京物理学校を卒業し、昭和二十三年頃には訴外丸山正武の経営する日本オルガノ商会に勤務中のもの、被告(反訴原告、以下単に被告と称する)は亡田中源内の五女であつて、曩に右源内の家督を相続した兄正俊の死亡に因り昭和十七年十月三十日その家督を相続し、現在百数十万円の資産を所有して農業に従事中のもの、又被告の母角江は夫源内の死後分家し、現在百万円に近い資産を所有して諏訪市上諏訪衣ノ渡に居住中のものであるが、原告は被告と昭和二十三年九月二十八日前記丸山正武の媒酌により、一、原告は被告の氏を称すること、二、原告は被告方に同居すること、三、原告は日本オルガノ商会を退職すること等の条件の下に婚姻の式を挙げ同年十月四日婚姻の届出をし被告方に同居するに至つた。原告はその後右約束通り前記商会を退職して爾来婚家の家業である農業に努力したが、農事も一段落したので同年十二月八日から数日間を実家で送ることにして帰家した処、その不在中同月十日被告は原告に何の連絡もなく居宅の戸を閉切つたまゝ諏訪市上諏訪大手町の青木産婦人科病院に入院し約十日間で退院したものゝそのため原告は自宅に入ることも出来なかつた。その後幾許もなく同月中旬に至り被告は原告に対し突然離婚を申出で、同月二十八日以降は原告との同棲を拒み、母角江と共にあらゆる手段を講じて原告がその居に安住することができないように仕向けたので、原告は已むなく実家に寄寓することゝなつた。原告は何とかして事態を好転させようと努力したがその甲斐もなく、昭和二十四年五月十六日に至つて被告は原告に対し、長野家庭裁判所諏訪支部に協議離婚の調停を申立てた。この申立は同年七月二十三日取下げられたが、原告は同年八月三十日被告及び母角江に対し和合を計るため調停を申立てたが終に同年十二月二十一日に至つて不調となつた。昭和二十五年二月十一日原告は久し振りに婚家に帰宅したところ、被告は原告に対し理不尽にも退去を要求し、且実力を以て戸外へ突出し、原告が屋内に脱いで置いた外套、帽子等を前庭に投げ出す等の暴挙を敢てし剰さえ麺棒を以て原告を殴打し、右前額部挫創等の傷害を与えた。斯くては原告として被告との婚姻を到底継続し難いところであり、且つ被告が昭和二十四年十二月二十八日以来原告の帰宅を拒み自宅に安住するを妨げた行為は悪意の遺棄に相当する。よつて原告は被告に対し離婚を請求する。次に原告は被告に対し併せて財産の分与を請求するものであるが、原告は前述の通り従前の適職を抛つて被告との婚姻生活に入つたものゝ僅々数箇月で破局に終り、そのため職と共に将来に対する計画と希望とを失つた損失は極めて大きく又原告は被告から過去一年有余に亘つて侮辱と虐待とを受けた揚句婚家たる被告方から追出されたものであつて、被告が巨財を擁して安易な生活を送つているのに引較べ原告の境遇は極めて悲惨であるし、原告が被告から顔部を殴打され前記の傷害を負うに至つたことは生涯に残る不名誉である。又、被告が前記青木病院に入院した間の事情については甚だ釈然としないものがある。一方、原告は昭和二十四年十二月十日被告方の傭人関直和及び同人父直作から原告が被告と直和との間に醜関係ありとの風説を流布したとの理由で、原告の陳謝を求める調停の申立を受けたのであるが、原告には斯る流布をした覚えはないが若し醜事実があつたとすれば原告としては許し難いところである事等、以上の諸事実を綜合して原告は被告に対し金二十五万円の財産の分与を請求する。更に右金額に対する本訴々状送達の翌日以降支払済に至るまで年五分の割合による損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだと述べ、被告の主張をすべて否認し、反訴につき先ず反訴請求を却下するとの判決を求め、妨訴抗弁として反訴請求は人事訴訟手続法第七条により本件離婚訴訟と併合することができないと述べ、次で本案につき反訴請求を棄却する旨の判決を求め、答弁として原告の非行を内容とする反訴請求原因事実はすべてこれを否認するから応ぜられないと述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は本訴につき、被告は原告と離婚することは認めるが、その余の原告の請求は棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として原告主張の事実中、原告の経歴につき原告が東京物理学校を卒業したとの点を除きその余の事実、被告及び母角江の経歴については何れも所有資産の点を除き各その余の事実、被告方から原告方に対し原告主張の婚姻条件中の第一、二項を申入れた事実、原告と被告が昭和二十三年九月二十八日オルガノ商会主丸山正武の媒酌で婚姻の式を挙げ、同年十月四日婚姻の届出をして被告方に同居した事実、原告がオルガノ商会を退職した事実、被告が同年十二月十日から原告主張の期間青木病院に入院した事実、原告主張の日被告が原告に対し協議離婚の調停を申立且取下げた事実、原告主張の日原告が被告に対し調停の申立をしたが不調に終つた事実、昭和二十五年二月十一日原告が被告方に来た事実、原告主張の頃被告方傭人関直和並に同人父直作が原告に対し調停の申立をした事実は何れもこれを認めるが、その余の主張事実はすべて否認する。即ち、原告は被告との婚姻生活に入るや数日を出ずして早くも異常な性格を現し、来訪する男客を被告が応待するのを嫉妬して事毎に難詰するばかりでなく、昭和二十三年十月二十五日被告が数名の男と協同で籾摺作業をした際突如理由もなく被告の顔面、頭部を乱打してその場に昏倒させ、被告はこのため数日間激しい頭痛に苦しんだ。斯くして被告は早くも新婚の夢破れてその失望懊悩は深刻であり、又前記のような原告の異常な嫉妬心のため被告は来客等と一緒に炬燵に入る事も出来ず、寒さに向い終に関節リユーマチスを病み歩行も困難となつた。更に同年十月三十日には原告は理由なく亦もや被告を乱打し、被告が昏倒するとこれを足蹴にして終に失神させた上、偶々被告の母が其場にかけつけてこれを制止するや「自分は、ちの(実家)に帰る」といつて姿を晦ました。原告には斯く発作的に兇暴性を発揮する一面があつて、その後も幾度か何等の理由もなく被告に対して虐待暴行を加えようとしたことがあつたが被告は辛うじてその難を避けていた。この間原告は前記商会に一向出勤せず、被告の母が出勤を勧めても更にこれに応じなかつた。以上の次第で被告は心身疲労の極関節リユーマチスの病状は亢進し、同年十一月下旬には臥床するに至つたが、原告は終始毫も同情なく且つ口癖に実家に帰ると繰返し終に同年十二月初に至つて被告に対して離婚を申立て病臥中の被告を残して実家に帰つてしまつた。被告はその後も原告に対し復帰を懇請したのであるが、原告は全く飜意する様子もなかつた。その結果被告も終に原告との婚姻生活を断念し、離婚調停を申立てたのであるが事情によりこれを取下げたところ、原告は被告及び母角江に対し、原被告が同棲するか或は被告が原告に対し財産二十万円を分与して協議離婚するか何れかの調停を求める申立をしたが、被告はこれに応ずる理由も又財産も無いので右調停は不調に帰した。その後第三者の斡旋により解決に努力中原告は昭和二十五年一月頃から再三被告方や角江方に来て難題を吹掛け暴行に及ばんとし、就中同年二月十一日には被告方に来つて、「俺のいう通り金を出さない限り貴様の一生涯の邪魔をしてやるぞ」と脅迫した揚句被告の腕を捻上げて右腕関節右肩胛関節各捻挫症等の傷害を与え、更にあり合せた麺棒を以て被告を打擲せんとしたので被告はこれを阻止せんと争う中、原告は自分の力余つて右麺棒により前額部に軽微な擦過傷を負つたところ、原告はこれを被告の殴打に因るものと虚構の事実を捏造して逆宣伝した上被告を傷害罪として告訴したので、このため当時の新聞紙上には被告が女だてらに原告に殴打傷害を加えたとの誇大虚構の記事が数回掲載されて被告は名誉を毀損された。以上の次第であつて被告こそ本件婚姻生活の被害者であると述べ、反訴として反訴被告は反訴原告に対し金十五万円及びこれに対する反訴状送達の翌日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。反訴費用は反訴被告の負担とするとの判決並に仮執行の宣言を求め、反訴請求の原因として、前記本訴に対する答弁事実をすべて援用し、尚現在原告は岡谷高等学校の教官として相当の收入もあるので各般の事情を考慮し、原告の不法行為に因り被告が蒙つた精神上の苦痛に対し慰藉料として金十五万円及びこれに対する反訴状送達の翌日以降支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため反訴請求に及んだと述べた。<立証省略>

三、理  由

一、成立に争いのない甲第一号証(戸籍謄本)によると、被告は亡田中源内と妻角江との間の五女であつて、昭和十七年十月三十日前戸主正俊の死亡によりその家督を相続したもの、及び原告は亡上条直助の三男であつて、昭和二十三年十月四日被告と婚姻の上その籍に入つた事実が認められる。

真正に成立したものと認める乙第一乃至第三号証の各一、二の記載に、証人伊藤洋三、林操、小森秀雄、丸山栄臨、同正武、上条重直、田中角江、平林芳勝、中沢繁彌の各供述並に原告及び被告各本人訊問の結果(証人田中角江の供述及び被告本人訊問の結果中後記認定に反する部分は除く)を綜合すると原告と被告とが婚姻した事情は次のようである。即ち、被告及び母角江は何れも勝気な性質であつて、特に被告は若い女性ながら数人の傭人を使つて自ら農業を経営し家政を切廻す程で、いきおい婿たるべき者の資格に要望するところが大きかつた。昭和二十三年春頃母角江の知人平林芳勝から原告の兄上条達雄は帝大出身で人物も良いから被告の婿に貰つてはどうかとの話が齎らされたところ、被告方ではこれにのり気となり早速上条家の内意を打診したところ、右達雄は他家にはやれないが、原告ならやつてもよいとの意向であつたが、被告方では内心被告の婿には帝大出を望んでいたゝめ原告との縁談は容易に結実せず一進一退の状態を数箇月続けたが原告の雇主丸山正武、その父栄臨や角江方の同居人中沢繁彌等の強い斡旋で漸く原被告間の婚姻が成立したのである。

ところで、原告は生来地味などちらかというと暗い性格の持主であつたところ、敗戦後の俸給生活者の苦境を慮り、被告本人というより被告家の資産に歓心を持ちて当時重用されていたオルガノ商会での地位を抛擲して被告方の家業である農事に専念するため希望と夢を抱きつゝ被告と婚姻したのであるが、他方被告は自己の性格と冀望からして原告の人物、学歴等には尚あき足りないものがあり、このため終始この縁談にのり気でなかつたに拘らず、前記の通り周囲の人々の強い勧めを無下に辞り切れず終に引摺られて承諾したことが窺知される。

次に成立に争いのない甲第三、第四号証、乙第七号証、被告本人訊問の結果真正に成立したものと認める乙第九号証の各記載に、証人丸山栄臨、上条重直、田中角江、中沢繁彌、平林三之助の各供述並に原被告各本人訊問の結果を綜合すると、原告は婚姻以来一刻も早く農事を習得しようと努力を重ねたのであるが、素より未経験の仕事であるため十分と言難く特に前記の通り勝気で農家に育成した被告、しかも婚姻当初から心中に釈然としないものが伏在していた被告としては原告に対し愛情に代えるに常に批判と冷視とを以つてのぞんだため、互の生活に満たされないものがあり何時しか事毎に対立を露呈するに至つた。これに加えて原告は被告家の婿という圧迫感と僻みとをその性格からして屡々嫉妬の外観で現し、又暴行で示すに至つた。一方被告も亦原告を無視するが如き態度に出て憚らなかつたゝめ、これ等が互に因となり果となつて原被告間の溝は益々深まり、夫々煩悶懊悩の日を続け終に原告は斯る状況に耐え切れなくなり、昭和二十三年暮頃から実家に帰つて被告と別居生活に入つたのである。既にこうなつた以上第三者の斡旋の努力もその効なく、昭和二十四年中に双方相前後して離婚の調停を申立て解決を計つたが、互の要求が一致せず不調に終つた。

原告はその間度々被告方や母角江方に押掛けその都度紛争を起していたが、昭和二十五年二月十一日には被告の家にのり込んだ原告と被告との間にまたも麺棒を奪い合う等の暴力沙汰が起つてその結果双方共軽微な負傷をなし、このため原告は被告を告訴するに及んだことが肯認される。証人田中角江、宮沢節子の各供述、原被告各本人訊問の結果中以上の認定に反する部分は前記採用の各証拠に照しこれを措信しない。

以上の事情からすると、原告主張の被告が原告を悪意を以つて遺棄したとは言えないので、この理由のみでは原告は被告に離婚を求めることはできない。

しかし乍ら、被告は既に原告に対する愛情を失い、原告との結婚生活を維持する意思は毛頭なくなり、むしろ原告に対し嫌悪と反感の念のみがその心を領するのであつて、原告も亦当初に抱いた被告との結婚生活に対する希望は今や捨て去るに至つた。斯くてこれまでの経過や当事者双方の性格からすると、原被告が将来再び円満な関係に復帰できる見込は全くないと思われる。

およそ夫婦は愛情により結合されるものである処、その間に不和や失望や嫌悪が生じたときは、道徳はこの不自然な、従つて不徳となつたところの結合の解消を命ずるのであつて、しかも夫婦関係に破綻をきたした原被告が、真に離婚を求めている場合に於て裁判所が法律上の離婚原因が認められないとして敗訴させて、強制的に夫婦として同じ屋根の下に同棲させることは、かえつて人倫に反することになるのであるから、こうした事情は民法第七百七十条第一項第五号の定める離婚原因、すなわち、婚姻を継続し難い重大な事由に当るものと言うべきである。従つて、本件については以上のように原被告にこの事情があると認められるので、原告の被告に対する本件離婚の請求はこれを認容する。

二、次に原告から被告に対する財産分与の請求について判断する。

成立に争いのない甲第六号証の一並に三、乙第十八号証及び原告本人の訊問の結果によると、被告は相当額に上る田畑、家屋等不動産を所有し、中流以上の生活を維持しているものであるに比し原告は特記する程の財産もなく現在実家に寄寓して新制高等学校教官を奉職中の一給料生活者であるに過ぎない上、前記認定のように将来に対する凡ての希望と理想とを本件婚姻に托して、未経験の農事に尽力したにも拘らず、終に報いられる処なく失意の中に再び裸一貫で婚家を去るの已むない事態にたち至つたのであつて、これに前記認定の離婚の諸事情を考慮に入れると、原告側に多少の非難されるべき事由があつたとしても財産分与の性質に鑑みて、やはり被告は原告に対して財産を分与するのが相当である。

そこで、その額は以上諸般の事情を考慮すると金二万円が相当である。

尚財産分与請求権は慰藉料とその性質を異にし、離婚が効力を生じたとき始めて発生するものであるから、右金二万円に対する遅延損害金は離婚判決の確定した日の翌日から民法所定の年五分の利率に従い請求することができるので、これは認容するもそれ以前に遡ることは不当であるから原告その余の請求は失当として棄却し、尚仮執行の宣言については財産分与請求権の前記のような特質に鑑みこれを付さないことゝする。

三、次に反訴について判断する。

先ず原告の反訴請求の却下を求める本案前の抗弁について按ずるに、人事訴訟手続法第七条によれば、離婚の訴にその原因たる事実に因つて生じた損害賠償その他の請求を併合し又反訴として離婚及び損害賠償その他の請求を認められる処、被告が反訴に於て損害賠償のみの請求ができるかどうかに付考えると、同法第十四条及び民法第七百七十条第二項からすると裁判所に対し広汎な職権主義を採用し、当事者双方の申出あると否とに拘らず必要な証拠の調査を許し、その結果明かとなつた事項について、当事者の主張しないものと雖も裁判の資料とすることを認めている。これらと前記第七条の趣旨とするところは、畢竟一旦成立した婚姻の維持を計る外婚姻に関する争議は能う限り集約的、画一的に処理すべく、夫婦間に生起する紛争が永く未定の状態に置かれることに伴う一家の平和の阻害、公益上の弊害を極力避け、併せて訴訟経済の目的にも添わんとするにある。この見地によれば、前述の「訴の原因たる事実」とは実質上「離婚の当否を判断する上に資料となしうべき原被告双方の事実」の意味に解すべき処、被告の有責行為の結果婚姻を継続し難い重大な事由ありとする本件原告の離婚の訴に於て、その判断の資料となる原告の有責行為に因る被告の損害についても反訴を認めることが相当であり、尚、被告も原告との離婚を希望する本件に於ては、被告の反訴は適法と解すべきであるから原告の本案前の抗弁は採用しない。

四、次に本案について按ずるに、反訴請求原因たる事実は既に前段において原被告の離婚を認定するに当り資料とし、更に原告の財産分与請求権の判断資料とし、原告の主張を理由あるものとして被告に対し原告に金二万円の支払を命じ、被告(反訴原告)の損害賠償請求を結果的に否定しているのであるから、被告の反訴請求は、素より失当としてこれを棄却すべきものである。

尚訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八十九条、第九十二条本文に従い、主文の通り判決する。

(裁判官 相原宏)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!